大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(行ツ)102号 判決 1985年10月17日

大阪府大東市新町一〇番九号

上告人

金有感

右訴訟代理人弁護士

服部素明

川浪満和

大阪府門真市殿島町八番一二号

被上告人

門真税務署長

大野陽三

右指定代理人

立花宣男

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五九年(行コ)第一六号課税処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六〇年一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人服部素明、同川浪満和の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する事実の認定の不当をいうか、又は原審の認定しない事項を前提として原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

(昭和六〇年(行ツ)第一〇二号 上告人 金有感)

上告代理人服部素明、同川浪満和の上告理由

上告人は、内縁の夫亡甚吉(以下甚吉という)死後同人の相続人ら(以下相続人らという)と協議して、甚吉が死亡するまでの間同人と上告人が事実上の婚姻中協力してラーメン屋を経営しその収益金をもって甚吉名義で取得した財産を、その清算として財産形成につき上告人の判例のいう顕著な寄与その他一切の事情を考慮して、上告人としては大きく譲歩して三割程度を分割の上同人名義としたものであり、贈与税を課税されるべきでなかった(相続税基本通達六二条)にも拘らず、被上告人が同税を課したのでその取消を求めて本訴に及んだものであるが、原判決は、上告人には相続人らに右夫婦財産の清算を求め得る権利はなく、被上告人が上告人に相続税を課したのは正当であるとして同人の控訴を棄却した。

しかし原判決及び原判決が引用する一審判決(以下両者を併せて原判決という)には以下述べるとおり判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の解釈、適用を誤っており破棄されなければならない。

第一点 原判決には、民法七六二条の解釈、適用を誤り甚吉と上告人の共有性を否定した違法がある。

(1) 甚吉、上告人夫婦は裸同然で引揚げてき家業としてラーメン屋を営業してその利益金をもって蓄財をなしたものである。上告人は、主婦として家事労働に従事するだけでなく、家内企業であるラーメン屋の営業にも子供がなかったこと仕事一途で遊ぶ術を知らなかったこと等から実質上は主体的に携ってきたものである。右営業、並に蓄積された財産の名義を主として甚吉にしたのは、実質に従ったからではなく、夫婦相談の上上告人が日本語を解せず甚吉が夫であった関係等によるものであり、そもそもラーメン屋を開業したのは上告人の料理に関する経験と技術を基盤としてのことであり、毎日の営業についても上告人が主体的に働いていたもので、甚吉は附属的に時たま外部的な仕事を分担してくれていたに過ぎない。この点の原審の事実認定は経験則に反するものと言うべきである。そして夫婦は平等な立場でどこの土地を購入し又処分することを協議しつつ財産を形成してきたものであり、その資金は総て右ラーメン屋の営業利益とそれによって取得した不動産を処分した金によるものであり、固定資産税も益金でもって負担してきたものである。

(2) 家内企業においては、程度の差こそあれ妻も夫も同じく家業に参加することが多く本件の上告人はその好例である。しかしこの場合にも事業そのものが甚吉名義で営まれた結果取得された財産も同人の名義で蓄積され、上告人の財産としては表面には出ていない。事実この場合甚吉名義の蓄財も生産労働、家事労働があって始めて可能であったものであり、財産が甚吉名義になっていても内部的には実質に従い甚吉のみの物ではなく潜在的、観念的にはあくまで上告人と共同のものとされるべきものである。そおみることによって夫婦の協力と労働によってもたらされた財産は夫婦が平等の立場で夫婦に配分する途を開くことになり公平の原則にかなうものである。

(3) 民法七六二条の解釈として実質的共有財産については、対外的には取引の安全上形式的名義が尊重されることは当然であるが対内的には夫婦の協力で取得し共同生活の基礎を構成するものであり、実質的に共有として扱かわれ、従って同条二項の推定は目的物が単に名義があるだけでなく、対価等をその者の出捐によって取得し増大したことをその名義人が立証した場合に初めて破られると解し、その挙証されない限り共有の推定が働くものと解する等の考えに立ち、内部的には実質に従って夫婦の平等を保障すべきである。

(4) 民法七六二条に関する判例をみると、最判昭三四、七、一四は「夫婦の合意で登記簿上の名義とした場合にはその名義だけで特有財産となるものではない」と判示し、同判決が支持する原判決は「七六二条一項につき、いわゆる夫婦別産性を原則とすることを明らかならしめるため、夫婦のいづれか一方の財産であることの明らかなものはその者の特有財産とする旨を定めたに止まる云々」と判断しており、下級裁判所の判決では、「取得された財産がその名義が夫婦の一方に属しても夫婦間に名義人の特有財産とする特約がない限り名義の如何に拘らず夫婦共同の財産たる性質を失わない」(昭和四六、一、一八東地民一判)、「夫婦共稼ぎで得た収入により購入した不動産を夫婦の共有と認めその旨の更正登記手続を許した」(昭和四三、九、二松山地判)等存する処である。

(5) 右法理は甚吉、上告人のように内縁の夫婦関係の場合にも準用されることは裁判所の認める処である。そして上告人のように内縁関係で相続権がなく配偶者相続権として顧慮されることのない者の場合であればなおさら夫婦協力による財産を共有視することこそ、その権利実現に寄与する処であり、共有性を認めないことは原判決のように結局上告人の経済的補償を全く無にする危険性がある。

(6) よって原判決が、甚吉名義の財産ではあるが実質的には上告人がその取得、維持に協力したものであり、共有財産とみるべきを否定したのは、民法七六二条の解釈、適用を誤ったものである。

第二点 原判決には、民法七六八条の規定の準用を否定したことに同条の解釈、適用を誤った違法がある。

(1) 財産分与請求権は、離婚についてのみ規定されているが、その本質は、夫婦の協力によって得た夫婦財産につき夫婦関係が解消する場合に、その蓄財は一方の財産となっていてもそこには他方の潜在的持分というものが含まれており、分割するという思想に基づく清算請求権である。

そして近代における多くの立法例は、離婚に際して配偶者間に(特に妻に)その清算として何等かの財産的給付の制度を設けており離婚における財産分与の思想は今日の社会生活上自明の理として捉えられているものといえる。

本件のように甚吉の死亡による婚姻解消となった場合にも、夫婦財産につき、妥当な清算を計ろうとする財産分与請求権の精神からして、右規定を準用して他方の配偶者に妥当な清算請求権を認めてこそ、法の正義に合致するものと言うべきである。

(2) 甚吉と上告人は内縁の夫婦関係にあったものであるが、内縁解消の場合にも、内縁を婚姻に準ずる関係にあるものとみて、離婚に準じて財産分与の請求ができることは既に裁判所の先例が存する処である。

このように生前の離別である離婚の場合は内縁配偶者にも財産分与請求権が与えられているのに一方配偶者死亡の場合は、相続関係の画一的処理という要請から内縁配偶者には相続権は認められておらず、夫婦財産の清算請求ができないとすれば不合理極まる結果となる。

そこでかかる不都合を救済するものとして婚姻、内縁に拘らず夫婦関係の死亡による解消の場合、相続に先立って夫婦財産の清算を許そうとの学説が唱えられ審判例もある。そして婚姻の場合は相続における寄与分として立法化をはかられたが、内縁の場合は保護規定が全くなく、しかも相続関係から一切排除される処である。これでは内縁の配偶者については余りに不条理であり、一方の配偶者死後他方配偶者に相続人に対し民法七六八条を準用して財産分与の許すべきであり、それこそ法の精神である正義に合致すると言うべきである。そして、そのことは死亡配偶者の生前に財産分与請求の確定的意思表示をなしていたか否かに拘らず同請求権を認めるべきと解すべきである。

(3) よって原判決が、上告人には、夫婦財産につき共有性を否定し、更に財産分与請求その他一切の清算権はないとしたのは、民法七六八条の解釈、適用を誤ったものである。

第三点 原判決には、上告人には夫婦財産、実質的共有財産の清算分割請求権はないものと判断したのは著しく正義に反するもので公序良俗に違反し、個人の尊厳と両性の本質的平等の憲法(一三条、一四条、二四条)、民法(一条の二、九〇条等)の理念に反しているものと言わなければならない。

(1) 夫婦の共同生活は単なる性的結合たるに止まらず、夫婦生活の経済的機能が常に夫婦の分業によって、即ち今日なお通常とされる主婦婚の場合には夫が社会での労働によって得る収入を共同の生活源として家庭に提供し、妻が家庭において家事労働を提供することによって営まれている。しかるに本件における上告人の場合は家事労働に携わっていただけでなく、典型的な家内経営のラーメン屋の営業にその名義の如何を問わず実質は主体的に人の倍三倍と働き内助、外助の二重の貢献し、夫名義の財産が全部夫婦の協力によって取得されたものである。

よって、甚吉との夫婦生活が継続している限り右夫婦財産に対する上告人の観念的、潜在的共有性も、婚姻関係が消失する場合には清算されるべきは当然である。このように考えることが人格の尊厳と両性の本質的平等の理念を掲げた憲法、民法の理念を実現する処である。その法的構成として離婚の場合には財産分与請求権によって、婚姻死亡解消の場合には配偶者の相続分、寄与分によって評価され清算される処である。

ところで内縁の夫婦間においては、離婚の場合の財産分与請求権は認められる処であるが、本件のような死亡による婚姻解消の場合には、相続関係における画一定的処理の要請から相続権は認められていない。だから夫婦の実質的共有財産につき、その清算として共有物分割請求権、財産分与請求権の準用による保護、その他一切の請求権が認められないとすれば内縁配偶者一方の死亡によって他方の権利は全く消滅してしまいその積極的形成に尽力したことは無にきすることになる。他人間でも不当利得の償還請求権を構成し利得者は清算義務があるものである。上告人の夫婦財産に対する請求の根拠を共有説、不当利得説等その法的理論付けをいづれに立つにせよ同人に清算分割請求権を認めるべきであり、それを認めず全部甚吉に帰属してしまうとするが如きは余りに不条理で公序良俗に反し個人の尊厳と両性の本質的平等に違反するものである。

(2) 最判昭三六、九、六(民集一五巻八号二〇四七頁)は、配偶者の協力により取得された財産でも、婚姻継続中は取得名義人の特有財産としておき、婚姻解消時に財産分与、配偶者相続分において考慮するとの見解であるが、右の理に立つとしても内縁配偶者の死亡による婚姻解消の場合も清算すべきとの理論に当然発展さすべきであり、そのことが男女の実質的平等を保障することになり正義の理念に合うものである。

(3) 本件についてみるに上告人は相続人らと甚吉との夫婦財産を分割協議するに際し、相続人らは既に上告人の財産形成上貢献の大なることを熟知していたので同人の控え目の清算請求に感謝し、その清算として円満に分割協議が成立したものである。なお相続人らの中には夫婦の財産形成に協力してくれた者はなく、将来の協力を約束する者すら一人もなかった。甚吉の死亡によって同人の財産になってしまい、上告人に何等の請求権もないものとすれば、同人の夫婦財産の増殖、維持に貢献したことについての上告人の立場は全く無視される処となり、著しく公平の原則に反するものと言うべきであり、個人の尊厳と両性の本質的平等を保障する憲法、民法の許容する処ではないと言える。

(4) よって原判決が、上告人には相続人らに清算を請求する権利はないと認定したことは個人の尊厳と両性の本質的平等の理念に反し、公序良俗に反するものである。

以上のようにいづれにしても上告人には相続人らに対し財産を分割請求する権利はないものであり、相続人らの上告人への財産交付は贈与となるとして、被上告人の贈与税の賦課は正当であったとして上告人の控訴棄却した原判決は破棄されるべきである。

以上

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